2016.5.9

「れんちゃんとあなたは、欠けたピースとピースがくっついたみたいに、2人でひとつだったんだね。」

そう、それはまるで、妊娠中に抱く感覚みたいに。

赤ちゃんと自分は、確かで強いもので繋がっていて、
どちらかになにかあれば、お互いに影響し合って、
だけど、お腹の中には間違いなく、自分とは別の個体が入っている、
一心同体ではなく、別々の個体。

蓮と私は、そんなつながりだった。

この子は私がいなくなったら絶対に生きていけない。
だから私がこの子を守るんだ。

そう思って、必死に守り育ててきた。

私が、蓮を助けているつもりだった。

でも、本当は気がついていた。
救われているのは、私の方だと。
蓮を必死に守り育てていることが、私の「生きがい」になり、
いつしか私は、自分の人生を考えることから逃げた。逃げる口実を得た。
「私にはこの子がいるから…」
そう言って、考えることを放棄し、挙句の果てには自分が何者かになった気さえしていた。
今まで、何者にもなれず、何になりたいかもわからずに悩んだ日々から、
「蓮くんのママ」というだけで、何者かになれた気がした。自分を誇らしく、強くなれた気がした。

そうやって、私はあの子に救われていたんだ。
助けている気で、助けられていたのは私の方。
与えられていたのは私の方だった。

あの小さな体で、太陽みたいな笑顔で、私の人生に光を当ててくれた。

蓮は身をもってそれに気付かせてくれ、今もなお、私に教えてくれている。

与えられたものの大きさに気がついた時、初めて「それを返していこう」と自然に思った。
他の誰かに、自分が受けたものを返していく。
これが、自然な流れ、生の営み、循環、くり返し、だ。

そうやって、これから先の時間を過ごしていきたい。

あの日、守れなかった自分。
守れなかったんじゃない。

少しだけ、そう思えた。