2016.3.25
「あなたから発せられる言葉は、なにかキラキラと眩しくて、パワーがあって、心を動かされます。」
今日、こう言われました。
「もし本当にそうだとしたら、それはきっと、あの子の力だと思います。」
そう、答えました。
そうしたら、こう言われました。
「きっと、いつも誠実に生きてきたんだということだと思います。」
私は、誠実に生きてきたのか?
いや、そんなことない。
全然誠実なんかじゃない。
そもそも、誠実ってなんだ?
誠実に生きるって、なんだ?
そんな中で考えたこと。
蓮との暮らしの中で、
私は本当は見たくない、醜い自分、ずるい自分、ほんとは大したことない自分をたくさん見てきた。
そして今もまだ、そんな自分と向き合い続けている。
「そんな自分に気がつくこと、普通に生きていたらなかなかないですよ。そんな自分がいることにすら、皆んな気づかないし、気にも留めない。」
だとしたら、
そんな自分に向き合って、嫌気がさして、それでもまた向き合って、時々見ないフリして、でもまた見つけて…
そんな風にジタバタと生きていることが、「誠実に生きる」ってことなのかなと、ふと思った。
今、私は、今まで感じたことのないレベルで、そんな自分と向き合っている。
そして、心の底から思った。
「自分は本当に、大した人間じゃなかった。呆れるほど、身勝手で醜い人間なんだ」
あの日、ベランダで川面を見ながら実感した思い。
でも、そうしたら次にふと浮かんだ言葉。
「自分をあきらめよう」
私には、あれが精一杯だった。
例え同じ日をもう一度やり直せても、やっぱり同じことをくり返すだろう。
あきらめよう。
私は、私が思うほど、何かが出来るわけではなかったんだ。
これからも、こういう私と生きていくしかないんだ。
少しだけ、心が軽くなった。
そんなことを、今日、思い出した。