2016.2.29

先生と話したこと。

「主体性」

「だんなに〜、下の子に〜、まわりの人に…、迷惑かけるから、こう思われるから…、そういうクセを少しずつ、『私がこうしたいからする』にシフトしていけたらいいかもね。」

あなたがあなたの人生を生きることに、何の後ろめたさも感じなくていい。
むしろ、自分が〜することで、他人の、それがたとえ我が子でも、他人の人生を〜してしまうかも…と思うなんて、おこがましいのかもしれない。

確かに、その通りだ。
私は今まで、蓮の存在を盾に、自分の人生から逃げていただけではないのか。
自分の人生を自分の意志で決めることを放棄していたのではないか。
そしてそんなことを、蓮がいなくなった今も、まだそれを続けるようとしているのか…
次は「子どもを亡くした親」というカテゴリーで。。。

きっと嫌だよね。
私が蓮だったら、きっと迷惑だ。
まみさんが前に言ってくれた。
「蓮くんがいるとか、いないとか、そういうところは関係なく、さやかちゃんの『やりたいこと』って?それを考えてみたら…?」

逃げずに考えなきゃ。
蓮が教えてくれたことのひとつ。
ちゃんと、ちゃんとしなきゃ。


何のために生まれて
何をして生きるのか
答えられないなんて
そんなのは いやだ!

アンパンマンのマーチ

そうだ 嬉しいんだ 生きる喜び
たとえ胸の傷が痛んでも

何が君の幸せ?
何をして喜ぶ?
わからないまま終わる
そんなのはいやだ!

忘れないで夢を
こぼさないで涙
だから君はとぶんだ どこまでも


れんちゃんが1歳のおたんじょうびをむかえて、すこしたったころ、
クリスマスにもらった童謡絵本にはいっていたアンパンマンのマーチをれんちゃんといっしょに聞きながら、
ママはこの歌の歌詞にはっとしたのを覚えています。

「なにが君の幸せ?なにをして喜ぶ?
わからないまま終わる そんなのはいやだ‼︎」

ママはこの言葉を何度もくりかえしてよみながら、心の中で大きくうなずきました。
そして、隣のあなたを見ながら、
「この子の幸せ、この子の喜びをひとつでも多く見つけるんだ」
そう誓いました。

その頃のママは、病院の先生から少し厳しいことを言われ、
もちろんショックな気持ちと、でもモヤモヤしていたことがやっとはっきりして逆にすっきりした気持ちと、これからの不安と、でもやってやる!という意気込みと、いろんな気持ちを抱えている頃でした。
そして、新しいおうちに引っ越して、親子教室という療育の場をようやく見つけて、右も左もわからないけれど、とにかくあなたのために何かやらなきゃと、気持ちばかりが焦る日々だった気がします。

そんな時にふと目にとまった
アンパンマンの歌詞。
なんにもわからない、なんにもわかってやれない、そんな子育てかもしれないけど、
あなたの幸せ、あなたの喜びだけはわかりたい!
それすらもわからない母親なんていやだ!
だから、それをひとつでもわかってやれるように、それを目標に、私はがんばろう。
そう、教えられた気がしました。
大げさかもしれないけれど、
あの瞬間に、本当の意味で私の子育てが始まった気がします。


れんちゃん
あなたはその数年後、すっかりアンパンマンが大好きなお兄ちゃんになったね。
アンパンマンのマーチが流れて、手をたたいて喜ぶあなたを見ながら、
ママはあの日のことを、あの日の気持ちを、よく思い出していました。
そして、あの日のあの子は、こんなにも大きくなって、こんなにも喜びを表現している!
しかもそれが、あの日のアンパンマンだなんて!
そんな風に不思議に縁を感じていました。


今、れんちゃんはどこにいますか?
それを想像するとき、ママはいつも空を飛ぶあなたがうかびます。
大好きなアンパンマンのように、
どこまでもとんでいるんじゃないかなって。

ママはあなたの幸せ、あなたの喜び、わかってあげられてたのかな?
わからないまま…ではなかったよね?
あなたが喜ぶこと、大好きなこと、いっぱい見つけられたつもりでした。
これからももっともっと見つけるつもりでした。

もう見つけることが叶わないなら、
せめて今まで見つけたことはひとつ残らず覚えていたい。
そう思って、あなたがいなくなってから
、あなたの好きだったことを書き留めています。
れんちゃんがこの世界で見つけた幸せ、ママはずっとずっと忘れずに、大切にするからね。

2016.2.23

病気や障がいをもって生まれた子どもたちは、きっと一人一人、生き方がちがう。
自分の生を、精一杯生き抜くため、
ある子は1日、1日をゆっくり静かに、そして1日でも長くその生を味わおうとするかもしれない。
またある子は、自分の命を削りながらも、その一瞬一瞬をより輝けることを選ぶかもしれない。

蓮はきっと、後者の生き方を選んだ子なのだ。
自分がこの生で味わいたい喜び、幸せを笑顔いっぱいに味わって、
それと引き換えに、知らないところで少しずつ身を削っていたのかも…

どんな生き方がいちばん幸せだなんてことは、誰にもわからない。
でも少なくともあの子は、自分の生を、力いっぱい輝いて生き抜いていたと思う。
あの小さな体で、どんなに力を振り絞って毎日を生きていたか、私には計り知れない。

そう思った時、
「もっと一緒にいたかった」という素直で唯一の気持ちとは別に、
「よく頑張ったね」と褒めてあげたい気持ちになった。

2016.2.20

夕食、パパとお酒を飲みながら、
久しぶりにいろんなことを語る。
また新しい気持ちに気がついた1日。

私たちが、どれほど周りに支えられていたか。
私たちもその時出来る最大限で、蓮を愛してきた自信があるけれど、
それと同じくらい、周りの家族が本気で蓮を愛してくれていた。
蓮を100%受け入れてくれていた。
そのことが、どれほど私たちを支えてくれていたか。
それがあったからこそ、私たちは心の底から、あの子を誇りに思えていたんだ、と改めて思う。

そう思えるのならば、
蓮はきっと、幸せな環境に生まれ、幸せな家族に囲まれ、幸せな一生だったのだろうと、そう信じてみようと思った。

初めて笑った日

今日、カウンセリングで
れんちゃんが初めて笑った日のことを話しました。

あれはもうすぐ4ヶ月、という頃。
土曜日の朝だったと思います。
パパとベッドに転がりながら、二人で遊んでいました。
そしたら急に、聞いたことのない、れんちゃんの笑い声が。
声をあげて笑ってる⁈

それまで、声を出して笑うことも、そもそも、あやして笑うことすらなかったれんちゃんが、満面の笑みでコロコロ笑っていました。
私は、夢中で動画を撮りながら、なんてかわいい笑顔だろう、と感じていました。
れんちゃんとの歴史の中で、おそらく1番感動した瞬間。
この笑顔は、『宝』だと思いました。
このキラキラの笑顔をもっともっと見たいと、あの時の私は無意識に、直感的に思ったのだと思います。
そして、こんな風に笑えるのなら、この子の人生はきっと大丈夫、と。
きっと幸せになる、と。

れんちゃん
ママは、何かにとりつかれたかのように、あなたの笑顔だけを目標に、今までやってきたように思います。
それは、あなたに対する贖罪のようなものがあったのかもしれません。
あなたのことを何もわかってあげられない、あなたが伝えたいこと、やってほしいこと、うまくわかってやれないから。
だからせめて、笑顔にしてあげたい。
あなたの笑顔はいつも、ひとつもくもりがない、偽りがない、本物の笑顔だから。
この笑顔を見せてくれる限り、この子はきっと幸せだと、そう信じてやっていました。

もっともっと、あなたの笑顔が見たかったなぁ。
明日は通園でウォータースライダー、
絶対大喜びで笑ってくれたはず。
金曜日だから、大好きなアンパンマンもやる日だよ。
ばあばのおうちにいって、またいっぱい遊んでもらって。

そんなことを考えて、そんな明日を想像していました。
そのあなたの笑顔を守れなかったことが、ママはくやしいのです。


そんなことを考えた1日。

「あきらめる」

これから先、どんなことがあっても、
あの頃のように、前のように、
幸せを感じることはない。

それはけっして、
病んでるからでも、悲観しているからでも、絶望してひねくれてるからでもなく、
我が子を亡くすとは、そういうことなのだ。

だから、良い意味で、
あきらめよう。
あのキラキラした毎日は、二度とない。


しゅうちゃん
あなたは私の大切な大切な息子です。
それは前となにも変わらず、
これからもずっと変わらず、
あなたの幸せを願い、
あなたの笑顔を喜び、
あなたの未来を夢見ています。

でも、
あきらめた私を、ゆるしてください。
あなたの笑顔を、あなたの未来を
あきらめるつもりはありません。

ただ、
前とは見える景色が変わってしまった私は、
前と同じように、
美しものを美しいと感じ、
あたたかいものをあたたかいと感じ、
幸せなことを幸せだと感じることはないのだろうと思うのです。

そのことがあなたを傷つけてしまう日がくるのかもしれない。
でもそれが、
お兄ちゃんの思い出を胸に、
お兄ちゃんの死を抱えて、
お兄ちゃんとともに残りの人生を生きようとする、母の姿です。


もう一度

ママはあなたのママで幸せです。
あなたのママになれたことを、
ほんとうにほんとうに幸せにおもっています。

たとえこのかなしいできごとが変えられないとしても、
うまれかわって、またあなたのママになります。
そして、弟にしゅうちゃんを生みます。
れんちゃんに出会えない人生なんて、
かんがえられないから。

れんちゃんに出会えて、
ほんとうにほんとうに幸せにおもっています。