2016.4.2

『みんなの学校』を見に行った。

その子がその子らしくいられる、安心した場所、そして、自分の今ある能力をさらに伸ばそうと努力できる場所。

それは、どんな子にも等しく与えてあげらければいけない権利。

「人とちがう」ことを学び、その中でどう自分を出すのか、あの子にどう手を差し伸べるのか、そんなことを子ども自身が身につけていく…

素敵だなーと思った。
蓮を育てていて、どうしようもなくモヤっと横たわっていた「健常との交わり」という問題。
私はいつも避けて通っていた。
必要ないと思っていたし、それでいいとも思っていた。
でも、こんな先生がいるのなら、我が子を健常の子たちと一緒に学ばせたいかも…という、少しの勇気を持てる、そんな映画だった。

「蓮が一番、蓮らしくいられる場所がいい。あれやこれが出来るようになる、ということよりも、蓮らしく笑って過ごせる場所がいい」

私も小学校の進路決めの時は、相当頭を悩ませながらも、そんな風に考えてたな。
この映画、去年の今頃見たら、何か気持ちが変わってたのかな。。。


なんで「今」、これを見に行ったんだろう。
お風呂に入りながら考えた。

蓮を育ててきて6年あまり、
この間に身につけてきた、物事を見る角度、考え方、捉え方…
そういうものたちを、変えたくなかったからだ。
蓮がいれば、当たり前に見に行っていたはずの映画。
蓮に関わることを、蓮の親として、今までと同じように、考えてみたかったから。

それって、当たり前だよね。
6年間で培ったものの見方、別に変える必要ないもんね。

これからもずっと、蓮の母親だもんね。